最上梨子の“秘密を守る”という条件付だったけれど、仕事のオファーは無事に請けてもらえることになった。 会社に戻って部長に報告するとよろこんでくれて、すぐに稟議書を書き上げて、会社に提出するまで事を進める。「きっと稟議は通るよ」 部長が言ってくれた通り、しばらく日が経ってから新作ドレスの稟議が降りたと上から知らせが来た。 もちろん、これからまだまだ道のりは長いのだけれど。「朝日奈、やったな! 会社のOKも出たし。いいドレスができるのを期待してるよ」 「はい!」 私も満面の笑みだったけれど、部長も興奮していていつもより声が上ずっている。そしてなにより明るい。「だけどまずはデザインだな。最上梨子がどんなデザイン案を提示してくるのかわからんが、実際にそれがなきゃ話にならん」 「ですね」 最上梨子のドレスが、うちの衣装部のマネキンに飾られる日がくるんだと思うだけで頬が緩んだ。 最悪、私の企画が最終的に通らなかったとしても、新作のドレスは衣装部に入荷することになる。 もしそうなったとしても、私が携わったドレスなのだからそれだけでも個人的にはすごくうれしい。「実際に衣装が出来上がったら、モデルを使って新しいパンフレットを作ろう。撮影の予算は俺が会社に掛け合ってやるから」 「ありがとうございます」 「とにかくお前は最上さんのとこに行って打ち合わせしてこい」 「はい」 「女性なんだから甘いものとか好きそうだよな。どこかでスイーツの手土産でも買って、彼女の機嫌を取っておけよ?」 「……そう、ですね」 最後の最後に、顔が引きつってしまった。 この企画に意気込みすぎて、今は忘れてた。……最上梨子の秘密のことを。 誰にも言わないと約束したのだから、もちろんそれは直属の上司である袴田部長にも絶対に言えない。 最上梨子が実は男だったからと言って、会社に損失を与えるわけでもないし。 別に黙っていても、どうってことはない。 だけど今の引きつった顔……部長にバレていないだろうか。◇◇◇「お電話でもお話しましたが、今日は依頼したデザインの件で伺いました」 最上梨子デザイン事務所に赴くと、マネージャーの顔をした宮田さんが現れ、今度はすぐさま例のアトリエ部屋へと通された。「最上先生がデザインするドレスがどんなものになるのか、今から楽し
「では、最上さん、とお呼びすればいいでしょうか」 「昴樹さん、で」 ん? 本名のほうがいいということ?「では、今後は普通に宮田さんとお呼びしますね」 「ああ……まぁいいか」 なぜ不服そうなのだろう。 仕事をする相手なのだから、名字にさん付けというのは普通だ。 いちいちこういう反応をされると、なんだかやりにくい。「あ、それと。僕、最初と印象が違うと思うけど、本当はこういう人懐っこい性格なんでよろしくね」 「……はい」 最初と印象が違うのは、もうとっくに気づいている。 おそらく、あれは演じていたのだ。 大人でクールで卒のない、最上梨子のマネージャーという役柄を。 そして現在目の前にいる彼が、きっと本当の性格の宮田さんなのだろう。 それよりも、人懐っこいくせにどうしてメディア嫌いなのか、意味不明だ。 この人のことが全然理解できない。「すみません、お口に合うかどうかわかりませんが、これ……」 気を取り直して、持って来ていた手土産の袋をさりげなく宮田さんに手渡した。「これはなに?」 「マドレーヌです。上司に持って行けと言われましたので。あ! 大丈夫です。秘密のことはもちろん上司にも言ってませんから」 手土産を考えた結果、男性でも好みそうな無難なマドレーヌにしておいた。「あはは。秘密は守ってくれてるって信じてるよ。それに、上司の指示だって僕に言っちゃうあたりが朝日奈さんは正直だよね」 そう指摘されて、カッと顔が一瞬で熱くなる。 本当だ。今のはそこまで言う必要はない。ひとこと多かったと自分でも思う。「す、すみません」 「朝日奈さんは真面目なんだね。見てるとなんだか妹を思い出すよ」 「妹さんですか?」 「ああ。しばらく会っていないけど。妹は朝日奈さんよりもっと真面目で現実的なタイプでね。型破りな僕とは正反対」 話しぶりからすると、妹さんは芸術肌とは程遠いタイプのようだ。 兄妹で、全然違う性格なのだろうか。「じゃ、このマドレーヌで一緒にお茶しようか。朝日奈さん、悪いけどコーヒーを淹れてくれる? そこにコーヒーメーカーがあるでしょ?」 「え?! あの、仕事の話を先に……」 「えぇ~、マドレーヌが先だよ~。仕事の話は、それを食べてから聞くから」 「せめて、食べながら、でお願いします」 立ち上がり、軽く
「朝日奈さんも食べなよ。これ、美味しいよ」 「それはよかったです。で、デザインの件ですが……」 マドレーヌの話をバッサリとぶった切り、仕事の話へと無理やりシフトした。「僕、最初に言ったと思うけど、ブライダルドレスはデザインしたことがないんだよ」 「はい」 「正直、まったくイメージがわかない」 「えぇ?!」 まったく? 少しも? 全然? そんなことを今更言われても困る。まさか、できない、というのだろうか。 それなら何故引き受けたのかと言い返したくなる。「いい加減な仕事はしたくないんだよね。だからさ、イメージが湧くように朝日奈さんが努力してくれなきゃ」 「わ、私が?」 「だってそうでしょ。だいたいね、朝日奈さんの頭の中に描いてるイメージ、持ってきた書類だけで僕に全部伝わってると思う?」 「それは……」 「頭の中のイメージだよ? それを形にして表現するのが僕の仕事かもしれないけど、他人の頭の中のイメージを100%理解するのは無理」 私は今回の企画のためのいろんな資料を、次々に慌ててバッグから取り出した。 言われていることはわかる。 だとしたら、1%でも多くわかってもらえるまで伝えていくしかない。「その書類は、この前見たよ」 目の前に書類を出した途端、先にそう言われて突っぱねられた。「でも、もう一度……。不明な点があれば何でも聞いてくだされば」 「そうじゃなくて」 視線を上げて宮田さんを見ると、にっこりと笑ってコーヒーカップに口をつけていた。「僕はね、一緒に作りたいんだ。朝日奈さんと」 「……え?」 「朝日奈さんの頭の中のものを僕が形にしてアウトプットする。ということは、僕の頭の中にも、100%とはいかなくても似通ったイメージがないと、アウトプットできないわけでしょ」 「はい」 「だから、もっと僕たちはわかり合う必要があるってことだよね」 じゃあ……私は一体どうしたらいいのか。 漆黒の髪と漆黒の瞳。 キリッとした容姿のくせに、子どもっぽい口調と人懐っこい笑顔。 仕事を引き受けておきながら、イメージがまったくわかないと堂々と言う目の前の男性に、心の中は違和感と不安でいっぱいだ。 どう言葉を続けたらいいのかわからなくて、まごまごとする私を見て宮田さんが小さくクスリと笑うのが聞こえた。「とにかく、明
水族館へ行けば、優れたアイデアが浮かんでくると言っていた宮田さんだったけれど。 もしかして騙されたのかもしれないと感じたのは、その翌日だった。 お昼過ぎに現地集合という待ち合わせで水族館に赴くと、入り口のところに立っている宮田さんの姿が見えた。 いつもと違って、今日の宮田さんはカジュアルな私服だ。「朝日奈さん、早く早くー」 水族館の前で、うれしそうな笑みをたたえて手招きされると、小さい子どもに急かされているような気分になる。「お疲れ様です」 「十三時半からイルカのショーが始まるんだよ。だから急がなきゃ。って……朝日奈さんはなんでスーツ姿なの?!」 私だって待ち合わせの時間よりもずいぶん早く来ているというのに、いきなり急かされる意味がわからない。 なぜスーツなのかは、仕事だからに決まっている。「スーツじゃいけませんか? これも一応、視察なので仕事の一環ですし。というか、午前中は普通に会社で仕事をしていましたので、自然とスーツになります」 淡々とそう述べると、宮田さんが小さくプっと噴出して笑った。 笑うとは失礼だ。おかしなことはなにも言っていないと思うけれど。「とにかく行こう。イルカ、イルカ!」 「わっ!」 いきなり私の手を引いて、宮田さんが小走りに走り出したものだから驚いた。 繋がれた手に私の神経が一気に集中する。 子どもっぽいことを言わず、突飛な行動をしなければ、普通にカッコイイのにな……なんて思うと変に意識してしまいそうになる。「今度は私服で来てよ」 「あの、今度って?」 今度、私が事務所を訪れたとき? それとも今度、今日と同じように外で会うとき? いやいや、どちらもおかしい。 どちらも仕事なのだから、私服を着ていく意味がわからない。 というか……本当に読めない人だ。 だって今もイルカが跳ねるのを見て、キャッキャと喜んでいる。「朝日奈さん、サメってすっごくカッコいいんだね!」 「そうですね」 「あ! あそこにウミガメもいるよ! 朝日奈さんって、ちょっとウミガメに似てない?」 「あの、褒められていないと思うんですけど!」 イルカのショーを見終わった後も、ずっとこんな調子でテンションが高い。 あちこち引っ張りまわされ、精神的にも肉体的にも私に疲れが押し寄せる。「怒った? 冗談だ
「いっぱい写真撮ったよ。デザインの参考になるかな」 そう言って、スマホの画面を私に見せ付けてくるけれど。「ウミガメ……多いですね」 他の生き物の写真も撮っていたけれど、ウミガメの写真がやたらと多い。 そんなにウミガメを気に入ったの? 「え?! いつのまに撮ったんですか?……私が写ってる」 スマホをスライドさせると、次に出てきたのは水槽を見ている私の写真。ウミガメとの2ショットだ。「ほら……大きさの比較のために、朝日奈さんも入れといた」 お、大きさの比較? 私とウミガメの比較をして、この人はどうしたいのだろう。 あぁ、やっぱり全体的に意味不明だ。 進路を先に進むと、180度のトンネル水槽の空間へ。 そこはわりと広くて、全然圧迫感のない大きさだった。 濃いブルーの照明が、幻想的な世界を造り出している。 大きな水槽の中を悠々と泳ぐ魚たちがいる。 見上げると、大きなマンタが私の真上を泳いで行った。「こういう感じなんですけどね。深い深いブルーの色合いとか」「へぇ、なるほど」 ポツリと呟いた私の言葉は、主語なんてなかったのに。 宮田さんは水槽を見つめながらも合いの手を返してきた。「朝日奈さんの頭の中のイメージは、こんな感じだったんだ」 「はい」と返事をしようと思ったその時、背中に気配を感じた。 私はガラスの壁の向こうを泳ぐ魚たちを見ていたのだけれど。 背後から宮田さん、ガラスに手を付く形で私を挟んで覆いかぶさっている。「み、宮田さん」 瞬時に身体が硬直して、振り向くこともままならなかったから声で抗議した。 だって、私はガラスと宮田さんに挟まれているからすごい密着度だ。 だけど彼は「綺麗だねー」などとつぶやくだけで、その体勢はしばらく崩してくれなかった。 サラリとこんなことをやってのけるなんて、この男……本当は女たらしだったりして。◇◇◇ 例の水族館視察から十日が経った。 一昨日もアトリエ部屋に様子をうかがいに行ったけれど、宮田さんはいつもの調子で呑気に構えていた。 ……デザインは進んでいるのだろうか。それだけが気がかりだ。「緋雪、下にお客さんが来てるって」 会社で黙々と仕事をしているところに、受話器を持った麗子さんからそう声をかけられた。 誰かとアポイントなんてあったかなと、すぐ
「ちょっと私、下に行ってきます」 机の上に広げていた書類を失くさないように大慌てでバインダーに放り込んで準備をする。「朝日奈、宮田さんって誰だ?」 事務所を駆け出して行きそうな私の後ろから、袴田部長の声がした。「あの……最上梨子さんの、マネージャーをされてる方です」 振り返り、部長に愛想笑いしようとしたが顔が引きつった。今は部長の目を見ちゃダメだ。「最上梨子の?……じゃあ、俺も挨拶しとくか」 部長のその言葉で、引きつった顔から冷や汗が出そうになる。「いえいえ、大丈夫です! ほんの、端的な話だけかもしれませんから私が行ってきます!」 袴田部長は私の上司だ。 だから部下がお世話になってる人に挨拶しようとするのは、当たり前の話なのだけれど。 なぜか私はふたりを会わせてはいけない気がした。 だって、なにかボロが出そうで怖い。「おい!」と後ろから部長の声がしたけれど、私はそれを振り切って廊下を走った。 こんなにやましい気持ちになるのはやはり……例の秘密を抱えているから ――。 エレベーターを降りて一階のロビーへと到着すると、宮田さんが接客用のテーブルセットの椅子に腰を下ろして出されたコーヒーを悠長に飲んでいた。「宮田さん、どうしたんですか?!」 私の声に顔を上げて、にこりと微笑む。 今日の宮田さんはいつもと違って、パリッとしたスーツ姿だ。「ちょっとね、朝日奈さんに会いたくなって」 ……中身はいつもと変わらない。「冗談はやめてください」 「ははは。怒ってる。怖いなぁ」 ……怖いなんて、微塵も思ってないくせに。「頭の中が煮詰まりそうだったからさ、見学にこようと思って」 「え? ここにですか?」 「うん、チャペルとか披露宴会場とか衣裳部屋とか。そういえば見てなかったもんね」 「そうですね」 「見学するなら、朝日奈さんと一緒に回るべきでしょ?」 見ても参考になるかどうか、正直わからないけれど。 本人が見たいと言うのだから断る理由などない。 だいたい、なにが元でインスピレーションが湧くのかわからないのだから。この人は、特に。「見学できる?」 「はい。今日は平日ですので、少しだったら大丈夫かと」 「そ。じゃ、行こう!」 「というか、事前に電話くらいしてください。いきなり来られたらビックリするじゃないです
「森のイメージのやつさ、場所はここでもいいんじゃない?」 「え?」 「せっかくこんなに綺麗な庭があるんだから。朝日奈さんのイメージした“木々があふれる森の中”をここに造るんだよ」 そうか、それもありだよね。 庭に造ってしまう構想は私の頭にはなかった。 それが本当にできるかどうかはわからないけど。 ……本物の木を植えていくのは無理があるし。 それでも、宮田さんと一緒に見てまわってイメージが湧いたのは私のほうだ。「ガーデンプランナーさんに相談してみます」 そう言うと、宮田さんは笑って大きく太陽に向かって伸びをした。「朝日奈!」 そんな私たちの背後から声がして、振り返ると袴田部長がこちらに歩み寄ってきていた。「ぶ、部長!」 動揺して、思わず部長と宮田さんの顔を交互に見てしまう。「すみません、ご挨拶が遅れました。袴田と申します。いつも朝日奈がお世話になっております」 宮田さんの前にきちんと姿勢よく立って、部長がいつものようにさりげなく名刺を差し出す。「上司の方にもご足労をいただきまして申し訳ありません。わたくし、最上梨子のマネージャーをしております宮田と申します。いつも朝日奈さんには最上がお世話になってます」 宮田さんのスイッチが見事に切り替わった。 声質までいつもより低音になっている。 自然とこんな声と口調になれるのだから、どちらの宮田さんが本当の宮田さんなのか、わからなくなってくる。 そんなことを思いながら、二人が名刺交換するのをただぼうっと見つめていた。「今日は……最上さんは?」 一緒に来ていると思ったのか、部長が不思議そうに最上梨子の姿を何気なく探している。「今日は私が最上の代理で見学に来ました。最上は……わがままなところがありまして、外に出ることを嫌いますので」 わがままなのは、あなたです。「そうでしたか。最上さんが、ご自分の目で見てみたいとご要望されたのかと思ったんですが。私の勘違いですね」 だいたい部長が、こんなところをたまたまフラフラと歩いているわけがない。 受付の誰かに、私たちが館内を見て回ってることを聞いたのだろう。 ……最上梨子も来ているかも、と考えたのかもしれない。 上司として挨拶や話をしなくてはと思ったのか、はたまた単純に最上梨子の容姿を見てみたいと思ったのか、理由は定
「朝日奈ー、ちょっと来い」 あれから見学を終えて帰っていく宮田さんをロビーでお見送りした。 事務所に戻ってくると、早速袴田部長からの呼び出しがかかる。 なにを言われるのだろう、いや……なにを問いただされるのだろう、と背中に緊張が走った。 宮田さんのことで部長が何か怪しいと思う部分があったんじゃないだろうか。 まさか、――― 秘密のことを見破られた?「あっちで」と、指し示されたのはミーティングルームだった。 「朝日奈、お前……大丈夫か?」「……え? なにがですか?」 怪訝な表情の部長を前に、私は冷や汗をかきながら動揺した。 今の自分は絶対に目が泳いでいる。 だって何について聞かれているのか、抽象的過ぎてわからないから余計に怖い。「さっきの、宮田さんだよ。最上梨子も変わり者だって噂だが、マネージャーのあの人も変わってそうだな」 ええ、同一人物ですので。「あの人さ……」 「はい」 「もしかして、お前に気があるんじゃないのか?」 「は?!」 部長の言葉が突飛すぎて、意味がわからない。 なにを言ってるんですか、という意味を込めて瞬時に驚きの声をあげた。「部長、わけのわからないことを言わないでくださいよ。なにを根拠にそんなことを……」 「俺に対して牽制するような視線を向けてきた。まるで敵視するみたいに」 「え?!」 私もあの場にいたけれど、どの段階で宮田さんがそんな視線になったのかまったくわからない。 私にはちゃんと温和なマネージャーキャラを演じていたように見えていた。「部長の勘違いじゃないですか? だいたいどうして部長を敵視するんですか」 「俺が結婚してるか尋ねてきただろ? あのときにそう感じた。俺とお前の関係を気にしたんだろうな」 たしかにあの質問は突飛だった。 話の流れでとかそういうことではなく、いきなり宮田さんが振った話題だったけれど。 だからって、それだけで判断するのはちょっと乱暴だ。「私が部長となんて、ありえませんよ!」 「お前……それはいくらなんでも俺に失礼だろう」 「すみません」 笑いながら謝ると、部長も噴出して笑った。「俺もお前が誰と付き合おうが、恋愛事情なんて知ったこっちゃないが。仕事は仕事だ。公私混同して滅茶苦茶にするなよ? それに、あの宮田さんにもしもしつこく迫られたら
それは最上梨子のデザイン画でもあるけど……。 それよりも、宮田昴樹というひとりの男性を守りたいんだ。 騒がれて傷つく彼の姿は見たくない。「それは……どういう意味だ?」 「……」 「俺は……お前はもっと、身の丈を知ってるヤツだと思ってたんだがな」 頑なに頭を上げない私の頭上に、辛らつな言葉が突き刺さる。 きっと私の気持ちは、部長にはお見通しだ。「公私混同するなよ。相手は今をときめくデザイナーだぞ?」 「……すみません」 「最上梨子に、惚れてどうするんだ!!」 「やめてください!」 部長が大きな声で私を叱咤する。 泣きそうになるのをグッと堪えて俯いたままでいると、それを制止する宮田さんの声が聞こえてきた。「彼女を……朝日奈さんを責めないでください」 「……」 「悪いのはすべて僕ですから」 ……宮田さん。「袴田さん、僕の正体のことを誰かに喋りたいのなら、それでも構いません」 宮田さん……なにを言ってるの?「ペラペラと他所で喋って、私になんのメリットがあるっていうんです? 週刊誌の記者にリークして小金を稼ぐとでも? 冗談じゃない。私も元はあなたと同じデザイナーの端くれ。同業者を売るような汚いマネなんてしませんよ。見くびってもらっては困ります」 「いえ……決してそういう意味では……」 袴田部長の勢いに飲まれたのか、宮田さんが難しい顔をして押し黙る。「あなたと朝日奈の間で、なにが約束されて、どういう経緯でこのデザインが描かれるに至ったのか、私は詳しくは知りません。まぁ、もうそんなことは知らなくてもいいです。ですが、私がこの秘密のことを黙っている代わりに宮田さん、ひとつお願いを聞いてもらえませんか」 神妙な顔つきで提案を突きつける部長に、私は隣で息を呑んだ。「お願い、とはなんでしょう?」 「朝日奈は見ての通り不器用で、一生懸命真面目にやりすぎるところがあります。最上梨子の秘密を守りたいと強く思うあまり、最上梨子に恋をしてしまった」 「部長……」 「その呪縛を解いてやってください。朝日奈を……解放してやってください」 呪縛って……そんな言い方ひどい。 しかも部長はなにか勘違いしていると思う。 まるでそれじゃ、私が囚われてがんじ絡めになってるみたいだ。「部長! 呪縛だなんて。勝手に決め付けないでください!」
「いえ。最上梨子が描きました」 「……だからそれは、あなたでは?」 ……どうして部長がそれを知ってるのだろう。 私の強張った顔からは嫌な汗が噴出し、これ以上ないくらいに激しい動悸がした。「ぶ、部長! なにを仰っているのかわからないです」 「朝日奈、お前は黙ってろ。俺は今、宮田さんに尋ねているんだ」 ここで部長にバレたらどうなるの? せっかくこんなに素敵なデザインを描いてもらえたというのに、すべて白紙に戻るかもしれない。 宮田さんは最初に言ったから。 秘密がバレたら、仕事は反故にする、と。 実際に、このデザインがドレスになることはないの? 幻で終わる? それも嫌だけれど、そんなことよりも。 部長がこの事実をほかの誰かに漏らしてしまったら……彼が最上梨子だったと世間にバレてしまいかねない。 それは絶対に嫌だ。 だって彼がずっと守り通してきた秘密なのだから バレるなんてダメ! 絶対にダメ!!「宮田さんは最上さんのマネージャーさんですよ! な、なにを変なこと言い出してるんですか、部長!」 「……朝日奈」 「私、黙りませんよ! おかしなことを言ってるのは部長ですから! 違いますよ、絶対に違います! マ、マネージャーさんが……そんな、デザインなんて描けるわけもないですし……」 「朝日奈さん、もういいです」 そう言った宮田さんを見ると、困ったような顔で笑っていた。「袴田さんには最初からバレる気がなんとなくしていました」 「朝日奈が必死に否定したのが、逆に肯定的で決定打でしたけどね」 「はは。そうですね」 そのふたりの会話で気が遠のきそうになった。 私があわてて否定すればするほど、逆に怪しかっただなんて。「で、いつから気づいてました?」 「変だなと思ったのは、あなたがここに視察に来たときです」 部長の言葉に、やはりという表情で宮田さんが穏やかに笑う。「普通、物を造る人間は大抵自分の目で見て確認したいものです。特にデザイナーなんていう、なにもない“無”のところから発想を生み出す人間は。……私もそうでしたからわかります」 「そうですね」 「だけどあなたは最上さんの代理だと言ってやって来た。いくら彼女がメディアには出ないと言っても、それはさすがに不自然でしたから」 「なるほど」 私にはそんなこと、ひ
エレベーターで企画部のフロアに到着すると、先に宮田さんを会議室へと通して袴田部長を呼びに行く。 私がコーヒーを三つお盆に乗せて部屋に入ると、ふたりが立ってお決まりの挨拶をしているところだった。「わざわざご足労いただいて恐縮です」 「いえいえ。こちらこそ最上本人じゃなく私が代理で訪れる非礼をお許しください」 「早速ですが、デザインが出来たとかで……?」 「はい」 袴田部長もどんなデザインなのか気になっているのだろう。 ワクワクしているような笑顔を私たちに見せる。「朝日奈、お前はもう見たんだろう?」 「はい。部長も今からド肝を抜かれますよ」 「お前……客人の前で“ド肝”って……」 「あ、すみません」 いけない、いけない。 普段の口調からなにかボロが出ることもあるんだから、この際私は極力黙っていよう。「では袴田さんもご覧いだだけますか」 先ほどと同じように、宮田さんが書類ケースからデザイン画の描かれたケント紙を取り出して部長の前に差し出す。 それを一目見た部長は、一瞬で目を丸くして驚いた様子だった。「これは……すごい」 ドレスの形はマーメイド。 色はエメラルドグリーンを基調に、下にさがるほど濃くなるグラデーションになっている。 肩の部分はノースリーブで、胸のところで生地の切り返しがあってセクシーさを強調している。 そして、なんと言っても素晴らしいのはスカート部分だ。 元々、曲線美を得意とする最上梨子らしく、長い裾のスカートのデザインは、まるで波のような動きを表していた。「この部分は?」 部長が指をさしたのは、肩から羽織る白のオーガンジーの部分だった。「海のイメージだったので、最上は人魚を連想したようで。それで形もマーメイドにしたようなのですが、上半身が少し寂しい気がしてそれを付け足したそうです。必要ないなら省くように言いましょうか?」 「いえ。これはまるで“羽衣”みたいだと思ったもので。私もあったほうがいいと思います。しかしドレスの色も、いいですねぇ」 「朝日奈さんに聞けば、披露宴会場の中は深いブルーにするおつもりだと。そこで最上は明るいエメラルドグリーンのドレスが映えると思いついたみたいです」 さすがですね、とデザインをベタ褒めする部長を見ていると私もうれしくて頬が緩んだ。 自分で絶好調だと
*** 約束していた翌日。 私は朝一番で袴田部長のデスクへ行き、ブライダルドレスのデザインが出来たことを報告した。 最上梨子の代理として宮田さんがデザイン画を持ってくる件も話し、部長のスケジュールを確認する。「それにしても、突然出来るもんかなぁ」 「え?」 「いやだって、全然進んでないみたいなこと言ってただろ?」 そうやって、少し不思議そうにする部長に、私は満面の笑みでこう口にした。「最上梨子は天才なんですよ」 宮田さんに伝えた時間は十四時。 その少し前に私は一階に降りて宮田さんの到着を待った。 しばらくすると、黒のスーツに身を包んだ宮田さんが現れて私に合図を送る。「お疲れ様。昨日のアレで足腰痛くない?」 「え!!……ここでそういう話は……」 「あはは。緋雪、動揺してる」 ムッと口を尖らせると、彼は逆にニヤっと意味深な笑みを浮かべた。「その顔やめてよ。尖らせた唇にキスしたくなる」 そう言われて私は一瞬で唇を引っ込めた。「あちらのテーブルへどうぞ。言っときますけど今日は“仕事”ですからね、宮田さん!」 「はいはい」 ガツンと言ってやったつもりなのに、この人には全然効いてない。 ……ま、それは以前から変わっていないな。「これなんだけど……」 移動するとすぐに宮田さんは書類ケースから一枚のケント紙を取り出して私に見せた。 テーブルの上に並べられたそれを見て、私は一瞬で驚愕する。「な……なんですか、これは……」 ケント紙に綺麗に濃淡をつけて色づけされたデザイン画。 生地の素材や装飾の内容など、詳しいことは鉛筆で書き込まれている。 それらを見て、私は息が止まりそうになった。「あれ……ダメだった?」 おかしいな、などと口にしながら隣でおどける彼を、 この時 ――――本当に天才だと思った。「マーメイド……。こんなすごいドレスのデザイン、私は初めて見ました。最上梨子は……計り知れない天才ですね」 「……そう? 緋雪に褒められると嬉しいな」 「感動して泣きそうです。行きましょう! 部長に見せに」 テンション高くそう言うと、宮田さんがにっこりと余裕の笑みを浮かべた。
しばらく意識を手放していた私がぼんやりと目を開けると、そこには逞しい胸板があった。 私を腕枕していた手が肩を掴んで、ギュッと身体ごと抱き寄せる。「起きた?」 声のするほうを何気なく見上げると、やさしい眼差しが向けられていた。 目が合うと先ほどまでの情事を思い出して、途端に恥ずかしさがこみ上げてくる。「緋雪は恥ずかしがり屋さんなんだね」 そう言ってこめかみにキスを落とす彼は、余裕綽々だ。「あ、そうだ。頼まれてたデザイン、出来たんだけど」 「デザインって……」 「もちろんブライダルドレス。海のやつね」 「え?!」 以前に彼が自分で採点をしてボツにしたデザインじゃなくて……。 まったく新しいものを描き直してくれたのだと思うけれど。「出来たって……納得できるものが描けたってことですか?」 「うん。けっこう自信あるよ。自分の中じゃ手直しは要らないと思うくらい」 「え~、すごい!」 食いつくように目を輝かせる私を見て、彼がクスリと笑った。「最近、仕事が絶好調なんだよね。急になにか降臨してくるみたいに、ポーンとデザインが頭の中に浮かぶんだ」 「そういうのを、天才って言うんですよ」 「そうかな? 緋雪と結ばれた次の日から急にそうなったんだけど」 香西さんが、最近の彼のデザインを見てパワーアップしてると言っていたし、素晴らしい才能だと絶賛していたことを思い出す。 やっぱりこの人は、天才なんだ。「出来たデザイン、見せてください」 「ごめん、今ここにはないんだ。事務所にあるから」 「じゃあ、明日事務所に行くので……」 「僕が緋雪の会社に持って行くよ」 「え?」 明日の予定を思い出しながら、何時に事務所を訪問しようかと思考をめぐらせていると、宮田さんから意外な言葉が発せられた。 私がデザイン事務所を訪れることが、普通になっていたのに、どういう風の吹き回しだろう。「うちの会社に、来るんですか?!」 「うん。どのみち出来上がったデザインは袴田さんに見せることになるよね? だったら僕が行ったほうが早いから」 「それはそうですけど……」 「あ、緋雪は一番に見たい?」 その質問には素直にコクリと頷く。 自分が担当だということもあるから余計に、誰よりも早くそれを見たい気持ちがあるのはたしかだ。「じゃあ、袴田さんに会う前
急激に自分の顔が赤らむのがわかった。 彼の言うことはもっともだと思うのだけれど、いざとなると恥ずかしさが先に立つ。「じゃあ……プライベートではそう呼ぶようにします」 「今、呼んで」 「え?!……こっ……こうき」 舌を噛みそうなほどガチガチに緊張しながら彼の名を呼ぶと、クスリと笑われた。「緋雪は本当にかわいい」 「もう!」 「ちゃんとベッドでもそう呼んでね」 からかわないでと言おうとしたところに、逆に彼のそんな言葉を聞いて更に顔が熱くなった。「顔、赤いけど?」 「そりゃ、赤くもなりますよ」 いつの間にか至近距離に彼の顔があって…。 そのなんとも言えない色気に、一瞬で飲み込まれてしまった。「その顔……ヤバい。すごく色っぽい」 「え? ……逆だと思いますけど」 「は? 僕? なにかフェロモンが出てるのかな? 今、めちゃくちゃ欲情してるから」 耳元で囁かれると、電流が走ったように脳に響いた。 彼のくれるキスは、最初は優しくて甘い。だけどそのうち深く、激しくなって……。 舌を絡め取られるうちに、なにも考えられなくなっていく。 手を引かれ、寝室の扉を開けると、彼が私の後頭部を支えるように深いキスが再開された。「緋雪は僕を誘惑するのが本当に上手だね」 ベッドになだれ込んで、覆いかぶさる彼を見上げると、異様なほどの妖艶な光を放っている。「ど、どっちが……ですか」 誘惑されているのは、私のほう。 欲情させられているのも、私のほう。 あなたは自分の持つ色気にただ気づいていないだけ。 ――― 色気があるのは、あなたのほう。 あなたの長い指が、私の髪を梳く。 あなたの大きな掌が、私の胸を包む。 あなたの柔らかい舌が、私の目尻の涙を掬う。「ほら、呼んで? 名前」 ふたりの吐息が交じり合う中、律動をやめずに彼が言う。「……い、今?」 「さっき約束したじゃん」 パーティの夜にも同じことをしたけれど…… 今日の彼はあの時より余裕があって少し意地悪だ。 私には余裕なんて、微塵も無いのに。「早く呼んでよ。じゃないと、僕も限界が来そう」 ほら、と急かされるけれど。 私もやってくる波に煽られて、身体が自然とのけぞってくる。「こう……き。……昴樹……好き」 私の声を聞いて、一瞬止まった彼の律動が
「今日、岳になにをされた?」 感触を確かめながら、私の右手をそっと握る彼の瞳に嫉妬の色が伺える。「全部は見てなかったから。抱きしめられた?」 「いえ、それはないです!」 「だけど、頬にキスはされたよね?」 ……それは、見てたんだ。 というか、二階堂さんも見られているタイミングでわざとやったんだろうけど。「ほかの男でも腹が立つのに、相手が相手だ。緋雪が昔一目惚れした岳だよ?! 僕があれを見て、どれだけ気が気じゃなかったかわかる?」 だから……一目惚れじゃなくて、憧れなのに。「だったらなぜ、私に八年前のことを言わせたんですか?」 私にとっては、もう昔のことで。 ただの憧れだったし、今は綺麗な思い出だ。 だから、八年前のことを二階堂さんに告げてもあまり意味はなかったのに。「緋雪が今も岳のことが心に引っかかってて……要するに好きなんだったら、後悔のないように告白させてあげたかった」 「それで、私と二階堂さんがくっ付いちゃったらどうするつもりだったんです?」 「そしたら……岳から奪う」 彼が、諦める、と言わなかったことがうれしくて。 私の右手を握る彼の手の上に、自分の左手を重ねる。「私は二階堂さんじゃなくて、あなたが好きです」 「緋雪………初めて好きって言ってくれたね」 もっと早く、言うべきだった。 どこまでが冗談なのかわからない彼は、本当は異才を放つ最上梨子なのだ そう思うと、何の取り柄も無い女である私が傍にいるのはためらわれていた。 彼が仕事で関わるモデルの女性はみんな綺麗だから、私より絶対魅力的に決まっている……なんて、歪んだ感情も芽生えたりしていた。 好きだと態度で示されても、気まぐれにからかわれているだけだと思っていた。 いや……思おうとしていたんだ。 彼のデザインを見るたび、彼の作ったドレスに触れるたび、心をギュッと鷲づかみにされてその才能の蜜に吸い寄せられていた。 そんな人に好きだと言われ、態度で示されたら……。 しかもキスなんてされたら……最初から、ひとたまりもなかったのに。「僕も、好きだよ」 彼が心底うれしそうな顔をして、私の右の頬を撫でた。 そしてそこへ、ふわりと口付ける。 今日、二階堂さんがキスした場所と同じところだ。「上書き完了」 そう呟いた彼の顔が妖艶すぎ
「宮田さんにとって、私ってなんですか?」 「え?」 「どういうポジションにいます?」 泣いても喚いても、執拗に詮索しても。 あなたにとって私がなんでもない存在ならば…… 嫉妬したって、それは滑稽でしかない。「一度抱いただけの、仕事絡みの女ですか?」 「違う!!」 弱々しい私の言葉を、彼の大きな声が否定する。「僕は恋人だと思ってるし、緋雪以外の女性に興味はない」 信じないの? と彼が切なそうな表情をする。「こんなに緋雪のことが好きで、思いきり態度にも出してると思うんだけど。僕は自分で言うのもなんだけど一途だし。なのにそこを疑われるなんて……」 不貞腐れたように口を尖らせる彼に、そっと唇を寄せる。 そう言ってくれたことが嬉しくて、気がつくと衝動的に自分からふわりとキスをしていた。 唇を離すと、驚いた顔の彼と目が合う。「良かった。本当に枕営業しちゃったのかと思いました」 「……は?」 それは、パーティの席でハンナさんに言われたことだ。 なぜか今、それを思い出して口にしてしまった。 自分でもどうしてわざわざそれを持ち出したのかと思うとおかしくて、笑いがこみ上げてくる。「あのパーティの夜、宮田さんは……午前〇時を過ぎても魔法は解けないって言ってくれましたけど。朝になったら解けちゃったのかなと……なんとなく思っていたんです」 「どうして? 僕は解けない恋の魔法を緋雪にかけたつもりなんだけどな。あ、いや、ちょっと待って。それじゃやっぱり、僕は魔法使いってことになるじゃん!」 真剣な顔をしてそう抗議する彼に、噴き出して笑う。「不安だったのは、僕のほうだよ」 「……?」 「あの夜は気持ちが通じたと思ったし、心も身体も愛し合えたと思った。だけど、もしも無かったことにされたら……って考えたら、不安だった」 「……そんな」 「僕はやっぱり魔法使いで、王子は岳なのかも…って」 ――― 知らなかった。 宮田さんがこんなふうに思っていたなんて。 二階堂さんと私のことを、こんなにも気にしていたなんて。「宮田さんは王子様兼魔法使いなんですよ」 「……何その“兼”って、一人二役的な感じは」 「それとも私たちは、シンデレラとはストーリーが違うのかも。ていうか、一人二役でなにか問題あります?」 「……ないけど」 気まぐ
手を引かれ、十二階に位置する彼の居住空間へと初めて足を踏み入れる。「お、お邪魔します。お家、ずいぶん広いですね」 おずおずと上がりこんだ部屋には大きめのリビングとダイニングキッチンがあり、話を聞くとどうやら2LDKの間取りのようだ。 まるでモデルルームのように家具やカーテンの色や風合いがマッチしていてパーフェクトな空間だった。 この前麗子さんと話していて、宮田さんはどんなところに住んでいるんだろうと、気になってはいたけれど。 それがこんなに広くてスタイリッシュな空間だったとは思いもしなかった。「ここのマンションの住人には、ルームシェアしてる人もいるみたい。僕はもちろんひとりだけど」 なるほど。ルームシェアもこの広さなら出来ると思う。 なのに贅沢にこの部屋で一人暮らしだなんて……。「緋雪、気に入ったならここに越して来る?」 「え?! 私とルームシェアですか?」 「なにをバカなこと言ってんの! 僕たちが一緒に住む場合は、“同棲”になるだろ」 肩を揺らしてケラケラと笑う彼を見て、拍子抜けしたと同時に私の緊張もほぐれた。 私がはっきりと返事をしないまま、その提案が立ち消えになったことにもホッとする。「いつも事務所じゃコーヒーだけど、今日はビールがいい?」 ソファーに座る私に、彼はそう言ってキッチンからグラスと冷えた缶ビールを持ってきた。「ありがとうございます」 「パーティのとき思ったけど、緋雪はお酒飲めるよね?」 「あ、はい。それなりには」 コツンとお互いにグラスを合わせ、注がれたビールを口に含む。 ゴクゴクと美味しそうにビールを飲み込む彼の喉仏が、やけに色っぽい。 隣に居ながらそれを見てしまうと、自動的に心拍数が上がった。「今日のことだけど。僕が、モデルの子と一緒にいた件……」 ふと会話が止まったところでその話題を口にされ、私から少し笑みが引っ込んだ。「あの子はハンナの後輩なんだけど、けっこう気の強い子でね。ハンナのこともライバル心からかすごく嫌っていて。僕は今日、巻き込まれたっていうか……あの子が、」 「もういいです」 「……え?」 「もう、それ以上聞かないでおきます」 ハンナさんへの当て付けなのか、本気なのかはわからないけれど、あの女性が宮田さんに迫ったんだろうとなんとなく直感した。「言わせて